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四月一日に嘘をつき忘れて悔しいので来年用の嘘を今から考えておこうかと思うけれどぜったい忘れるし一年後には今日考えた嘘のおもしろさとかわからなくなってる可能性もあるからやっぱり来年の嘘は来年考えることにした。そうすれば鬼にも笑われないですむ。

もっとエイプリルフールのように特別ルールが設定されている日を増やしたらいいと思う。ただ休みなだけの休日はまっぴらだ。たとえば、といいかけて特別おもしろい案が出ないので考えるのをやめる。

また考え始める。

普段禁止されていることをするのはなんでか知らないけれどおもしろい、ので、法律で禁止されているようなことをしてもいい日を作ったらいいんだろうと思う、が、案外法律で禁止されていないことでも人の行動というのは制限されるものでたとえば僕なんかは階段を見かけると「体を棒のように硬直させて階段に立てかけられたい、それも頭を下にして」って思うのですけれど、ほとんど常に可能であるにも関わらずそれを実行したことはない。

ようするに人の目が気になって恥ずかしい、からできないので、人の目を気にしないでもいい日を作ったらいい、けど、それは難しい。

話は変わって

知り合いがいま死にかけている。手術室に横たわる彼の顔はなんだかつやつやしていて別人のようだった。「死にかけてると徳が高く見える」って友達が言っててなんだかそれがおもしろかった。

あらゆる命は無くならなければいい、とナイーブに思う。

彼とは五年ほどの付き合いになる。僕は週に一度位彼の手足になる。彼には他にも手足が20セットくらいある。彼の命が無くなったら、彼の手足はどこにいくのだろう。いくつかは完全に人間に戻るだろう。いくつかは他の誰かの手足になるだろう。