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ちょっと前のエントリで、研究にwebを活用するキャンペーン中、とかいってたわけですが
大方の僕の予想通りtwitterはただのさぼりツールに成り下がったし、読んだ論文をblogに
記録する、というのもほとんどやってない。言い訳をすると、論文はけっこう毎日ちゃんと
読んで内容を文章にまとめたりはしているのだけど、それをwebにあげる意味がよくわから
なくなってしまって更新が滞っている。どっかの誰かが僕のblogを目に留めて、つっこみを
入れてくれたりしたら有意義なんだろうけどそんなにweb上での議論が活発でない(と思う)
分野なのであんまりそれも期待できない。で、twitterはというと、いかに同僚にばれない
ようにtwitterをするか、とかいうことにばっかりエネルギーを注いでたりしてもうダメダメ
ですね。


最近聴いた音楽の話でもする。
マヘルの新作聴いた。数十秒程度のトラックが二百曲くらい収録されているという恐ろしい
アルバムなんだけど、曲間にも趣向が凝らされていてそれぞれの曲の間にきっちり10秒無音
の時間がある。工藤冬里がいうには、美術館で絵画を鑑賞するような感じで聴いてもらいた
い、ということらしい。僕は美術館を一巡りか二巡りかした後、お気に入りのいくつかの作
品をじーっと眺める、というような聴き方をしている。何十秒かの、今にも壊れそうな音楽
を、なんども聴いている。
こういう、素朴な、拙いものに美しさを見いだすのって、ともすればとても不健康な態度だ
とは思うのだけど、やっぱりマヘルは飛び抜けて美しい、と思う。言い方が難しいのだけど
も、例えば子供の描いたすっごいへたくそな絵とか住宅街歩いてて不意に聴こえた情緒不安
定気味なピアノとかに、はっとさせられたり感動したりすることがある。そういったものを
「これこそ真の芸術だ!」とかいって褒めたたえたりしたくなるんだけど、しかし僕はそれ
はしたくないのです。なんか芸術を殺してしまう気がするから。だめだやっぱりうまく言え
ないな。
で、マヘルの音楽っていうのはそういったハプニングをいかに意図的にやるか、ということ
をひたすらに追求している音楽で、しかし意図的である時点でハプニングではないわけだか
らそもそも矛盾しているんだけど、それでもマヘルの音楽は完璧に、美しく、失敗している。
で、もうこっちも素直になって聴くしかない。
とてもよいアルバムでした。

セ・ラ・デルニエール・シャンソン

セ・ラ・デルニエール・シャンソン