だdかっzvd

四月あたりから体重が増えはじめだんだん体が重たくなってきたので減量することにする。
よく考えたら最近一日四食くらい食べてるので、まずはそれをやめる。
あと研究室への行きと帰りに無駄に遠回りすることにする。
一日の自転車での走行距離とかを自動的にblogに記録できたりしたら楽なんだけど、そういうツールはあるかな。
携帯のGPS使って出来そうだけど。

調べた
auの携帯でできるらしい。
http://run.auone.jp/guide/index.html
blogパーツもある。便利。
電池の持ちだけが心配。あと月額315円は微妙に高いなー

研究にwebを活用するキャンペーン中。
まずは
twitterで天文ぽいひとをフォローしまくる
・読んだ論文のおおざっぱな内容を記録する
の二本柱で。
他にもなんかできるかなー。
研究会とかでいきなり仲良くなるのは人見知りの私にはハードルが高いので、まずはtwitter経由で仲良くなれたらいいなーという下心。
しかしtwitterで知り合いになって研究会とかでいきなり顔あわすのは恥ずかしいな。どうしたらいいんだ。

論文の方はastro-phを中心に。しんどくなって続かなくなるといけないのでほんとうにおおざっぱでいい、というルールにする。最低三行。

ヱヴァ破

初日の初回に見たものの感想を書けずにいた。

最初に結論をいうと最高でした。
なんかもう、こんなのってありか、よくやったよ庵野、もう本当に、十年越しのカタルシスっていうか、End of Evangelionを見たとき確か俺は13か14でシンジと同じくらいの年だったんだけど、正直いって衝撃を影響を受けまくったしあの映画が好きすぎて新作を見る勇気はあんまりなかった、だって俺ほんとにいまでも毎日のように「甘き死よ来れ」聴いてるしね、しかしEoEは大好きだけどやはり大嫌いで、なぜかというとそれは当然自分とシンジやアスカが被りすぎるから。でエヴァ破ですがたしかにCGとかダメなとこ多かったし不必要なサービスシーンも多かったけど、そんなことどもはどうでもよくて、大人になる、前にすすむ、ていう単純すぎるテーマをこんなにきちんと描いたのはすごいよ。鬱展開に逃げないでえらいよ。俺シンジと同い年でよかった。
と、いうように文体壊れるくらいよかった。思わずTVシリーズ見直してしまった。衝撃が後をひいている。シンジかっこいいよシンジ。

味噌汁のアップがあったり食事シーンがやけに多いのはモヨコのご飯がおいしいからなのだろうか。

#追記
よく考えたらTVシリーズは10年前じゃないし俺はシンジくんと同い年じゃない。
田舎だったもので流行が遅れてた

さいきんまた芝居を書いている。
三ヶ月に一度くらい書きたくなって、ばーっと書いて、
日の目を見ぬままお蔵入り、の繰り返し。

そうしていると細かく分断された雑多なシーンが沢山出来る。
それら一つ一つはとても気に入っているのだけどしかしそれだけでは芝居にならないので困っている。
最近音楽界では変拍子とか流行だし流れに乗ってパッチワーク的な芝居をしてみようかなー。雑多なシーンを並べてみれば、なにかしら意味が浮かび上がってくるだろう。それを勝手に読み取った観客と話をしてみるのは面白いかもしれない。

だけどそれって、ファンタズマの頃と何が違うんだろう。
サンプリングしたネタのつぎはぎでなく、あくまで自分の中から出てきたもの、という点で違うか。

なにか形になるといいな。形になる前が一番すきだけれど。

Temporacha

Temporacha

緊迫感がけっこうあるので聴いてて疲れる。
録音がとてもきれい。
これは、テニスというよりROOM40の人の作品というべきなんだろう。
歌があんまり聴けないのが残念。
パステルズとの共作を楽しみにしています。

dream’s end come true

dream’s end come true

一曲目が映画「おそい人」で使われてて気になったので購入。
構成がとにかく見事で、ベタな映画見てるような気分にもなるんだけど、
しっかり感動させてくれる。
七尾旅人参加曲がすばらしくよかった。

木へ

少し前に死にかけていた知り合いは最近亡くなった。彼が生活するには人手が必要で、彼の周りには家族でも恋人でも友人でもなんでもない人がいつもたくさん居た。なんでもないってじゃあなんなのさ、っていうとまぁ単に介護者と呼べば早いのだけれど彼は(少なくとも彼の属していた団体の信条としては)一般的な障害者アンド介護者的な関係性を望んでいなかったし、実際一般的な介護者障害者関係からは外れていたと思う。一般的な障害者と介護者的な関係性というものを説明するのは難しいのだけど、なんというか仕事で介護してる訳でもなくボランティアでもなく友達でもなく、というのを彼は目指していた。「障害者にとっては生活することが既に社会運動なんや」と誰に吹き込まれたのか知らないが彼は言っていたが、それも近いような遠いような。介護っていうのは仕事だろうがなんだろうが障害者と介護者が深く関わらざるを得ないので、そこに生まれる関係性に一般性などあり得ないのかもしれない。そう考えると、生活時間のほとんどを深い関係性を持った他者と過ごさなければならなかった彼は、さぞかし気疲れしただろうな。

何がいいたいのか自分でもよくわからないけれど、とりあえず事実としては、彼の介護に関わっていた人々は悲しみ方もよくわからず混乱していたりして、追悼集会やろう、とかベタなこと言い出したりしてて妙な感じだ。今度形見分けの話し合いをするそうだけどそれは俺ももらえるのか。別に欲しくない。

自分はと言えば通夜や告別式に出てはみたもののいまいち実感がわかず、火葬場までついていって骨も拾ったがそれでもやはり実感がわかなかった。

出棺の時に彼の甥がまっさきに、介護者連中に礼を述べていた。そのときはなんか少し泣きそうになったけど、「叔父のお世話をしてくれてありがとう」とかいうもんだから、お世話じゃねぇ、と少し苛立ってうやむやになった。

最近は熱かったり寒かったりで間違えて寒い日に半袖で出かけてしまったりして困る。

とりあえず髪を切りたい。